特集:座談会

デンマークでの子育て、どうする子供の言葉教育

今回の特集として、子供の言葉教育について、4人の方にいろいろなお話をしていただきました。時間を忘れ和やかな座談会となりました。


出席者


司会
実施日:2000年5月6日



司会:
今日はお忙しい中、お集りいただきましてありがとうございます。『デンマークでの子育て、どうする子供の言葉教育』というテーマで、みなさんからいろいろなお話をお聞かせ願いたいと思っております。
みなさんの中には、今まさに子育ての真っ最中という方から、もうお子さんが成長なさっている方まで、そういう意味では幅広い世代の方に集まっていただいたのですが、え〜、まず佐藤さんのところは、お子さんお二人とも成人なさってましたよね。どんな感じでお子さんに日本語で接して来られましたか?


難しい日本語教育、6歳のライン

佐藤:
下の子が3歳までは全部日本語でやってたんです。ところが、反応が全然日本語で返ってこない。必ずデンマーク語で返ってくる。3歳過ぎてからかな、やっぱり子供がデンマーク語で話せ、と言うようになってきたんですね。
やっぱり子供の自我が出てきて、子供の友だちが来てると、僕が日本語で話すと、いやだっていう感じになっちゃうんですよね。それで、これじゃあやはりだめかなあと、いうことになっちゃって、僕もデンマーク語に切り替えたんです。
それと、仕事の方も忙しくなってきて。だから、上の子は一応6歳くらいまでかな、で下の子は3歳ちょっと。そのあたりまでは一応日本語で通したんですけど、まあ 結局ダメで。でもまあ、上の子はKommuneで、日本の子弟のために、日本語を教える小さな学校みたいなものがあったんで、そこにちょっと通わしたんです。だけど、結局大きくなるまでものになんなくって、ただ上の子が 高校に入る時にやはり日本語勉強した方がいいって言うことで、、。

司会:
それはご自分からですか?

佐藤:
ええ、そうです。それでRungsted のGymnasiumに通って日本語を専攻したんです。ただ、どうしても話はできないんですね。書いたり、それから読んだり、っていうのは、ある程度できるようになったんですけどね。
で、そこで少し勉強して、その後高校卒業してから1年ちょっとかな、日本にやったんです。それで日本で働きながら日本語の勉強をして。だから、おかげさまで今は上の子は日本語、ある程度書けるし、それから、僕とコミュニケーションもできるんですが、下の子は全然ダメですね。

司会:
なるほどねえ。上のお子さんはお嬢さんで、下のお子さんが息子さんでしたよね。女の子と男の子ということで、何か違いみたいなものは、あると思われますか?

佐藤:
やはり、男の子の方がアクティブですからねえ。外に出る事が多くて。それと下の子が物心ついた頃に、ちょうど飛行場に職場が移ってたんです。飛行場の仕事って言うのは、朝2時起きで、4時出社。帰りは夜の10時11時と。こういうパターンがずっと続いてたんで、物理的にもできなかったですね。

司会:
子供さんが小さい間は、日本語で接してきた部分があったけれども、お父さんだけに、やはりお仕事の関係とかで、難しくなってくる部分もあったということですね。

佐藤:
そうですねえ。だから、男親の場合っていうのは、そういうハンディーが必ずありますねえ。

司会:
理恵さんのところなんかどうですか?今ちょうどお子さん6歳でしたよね。佐藤さんの場合は、上のお子さんが6歳ぐらいまでは、なんとか日本語でコミュニケーションをとってこられて、そこからが、難しかったということなんですけれど。

理恵:
そうですねえ。やっぱり難しそうですよねえ。今、やっぱり子供と接していると、どうしても子供言葉になるでしょ。で、普通6歳の男の子だったら、自分で『僕これからねんねするよ』なんて、言わないですよね。
でも、うちの子はそういうふうに言ったり、、、。

司会:
あ〜、やはりそういうことが起こってきますか。

理恵:
だから日常会話として聞いてないって言うことが、ハンディーかなあ。これから、もしもずっと続けて彼に日本語習わせていく、って言う時に、そのへんがとてもひっかかってきますよねえ。

司会:
それと、ひとりっ子でいらっしゃいますよね。そのへんどうですか?

理恵:
そう、ひとりっ子ですよねえ。うん困るの。(笑)他まわりにいないから、、、。

司会:
お母さんとの対話だけってことになりますもんね。

理恵:
でも、佐藤さんのお子さんが小さい頃とたぶん違っているのはね、今、ビデオがあるんですよ。だから、かなりビデオを見て、そこから覚えた言葉って言うのは、多いみたい。

司会:
ああ〜、そうですかあ。敦子さんのところはどうですか?敦子さんのところも上のお嬢さんは6歳でいらして、下のぼっちゃんは2歳ですよね。今まさに言葉を覚え始める時期ですよね。

敦子:
そうですねえ、下がやっぱり、難しいですねえ。というか逆に上がいると、上の子は、日本語もしゃべれるんだけれども、デンマーク語の方が優勢なんですよね。幼稚園行ったりもしてますから。


そうすると、弟に話しかけるのにどうしてもね、デンマーク語が先に出てきちゃうんで。日本語に漬かる時間っていうのかしら、それが下の子の方が少ないかもしれないなあ。だから、ほんとは教育上良くないなあ、なんて思いながら、日本語のビデオをなるべく見せるようにして、、、。

司会:
まあ、そうやって日本語の環境を増やそうとなさってる訳ですね。

敦子:
でも最近ちょっと、前よりも日本語の単語がたくさん出てくるようになったかなあ。主人もちょっと協力してくれて、カード見せて、『これはトリ!!』(笑)とか言ってね。やってくれてますけど。

司会:
そうですかあ。緑子さんのところは、ある意味で基本的な言葉教育は終わられていると言うか、過ぎた年齢だと思うのですが、上のお嬢ちゃんが12歳、息子さんが11歳ってことなんですけど、もうすでにその6歳のライン、とでも言いましょうか、越えられてきて、どうでしたか?

緑子:
後は子供次第ってとこなんですけどね。上の子が女の子で、二人子供がいる家庭で、上の子は日本語しゃべれても下の子はしゃべれないケースを多く見てきたんで、下の子、あんまり期待してなかったの。上の子は3歳の時から日本に1年半住んでて、幼稚園に行って、そこでかなり吸収してきたんです。でも下の子はまだ1歳半から2歳にかけてだったし、戻ってきたのが3歳ちょっと前。上の子に比べると、下の子は言葉に関しては、遅かったのと、プラスこっちに移ってきたから、あんまり期待してなかったんです。そしたらうまい具合に、下の子がお姉ちゃんの言うことやること、全部コピー。

司会:
あ〜、まねし出しましたか。

緑子:
そう、上の子の日本語を、まねしてしゃべるようになってきたの。それと、上の子が生まれた時に、言葉をどうするか、保健婦さんに相談したら、私は日本人だから私の口から出る言葉は日本語だけ、うちの主人はアメリカ人だから彼の口から出る言葉は英語だけ。デンマーク語は幼稚園とか、そういう所に行くようになったら覚えられるから、それは心配しなくて大丈夫だって言われたの。 もちろん、私もデンマーク語習おうとするから、言葉が混じる時もあるけど、なるべく100%日本語。全部私が言ったことは子供の頭に吸い込まれていくんだって、それを意識して、やってって、上の子はうまくいったけど、下の子はどうかわからなかった。でも、あるパターンができると、自動的に子供もそれに対応するようになる。顔見ると、お母さんの顔見て日本語、お父さんの顔見て英語。で、日本から帰って来て子供同士がたまたま同じ幼稚園の同じクラスに通い出すようになって、そうするともう子供の世界はデンマーク語。で、そこで初めてデンマーク語を習って、以来いつでもどこでも子供同士は今でもデンマーク語。でも、うちは家族全員3か国語理解できるから、一つの話題をそれぞれの言葉で、同時進行で会話ができる。そういう点ではすごく恵まれてます。


母国語で接するということ

司会:
う〜〜ん。なるほどねえ。もちろん、努力なさったからですけど、すごく理想的ですよねえ。
ここで、ちょっと母国語ってことについて考えてみたいんですけれども。私たちにとっては、もちろん母国語は日本語ですよね。でも、デンマークで生まれて、あるいはデンマークに来て、ここで育っていく子供達にとっては、デンマーク語が母国語、となるわけですよね。
例えば、先程、左藤さんは父親として難しい部分があった、とおっしゃっていましたが、母親の立場として、言葉というのは愛情表現の一つですから、小さい子供に話しかける時に、他の言葉で話すというのは、非常に難しい部分があると思うのですが、そういう意味をふまえて、母国語で接するという点を、みなさんどのようにお考えですか?

緑子:
もう子供がおぎゃーって生まれた時点で、デンマーク語や英語で話しかけると、私じゃあないって感じ。

司会:
ですよねえ。

緑子:
外国語を話すってことは、アイデンティティーをある意味では、なくしてることでしょ。だから、顔見ると自然に気持ちが出てくるっていうのは、日本語ですよね。

理恵:
赤ちゃんの顔見て、かわいいなあってね。

司会:
感情を込めて表現できるという意味では、やはり母国語、私たちにとっては日本語ですよね。

理恵:
母親自身はね。でも、だからと言って、子供の母国語を考える時に、私の母国語が日本語なんだから、子供に日本語しゃべってほしい、と思うのは自然なんだけど、時たま、押し付けてるんじゃあないの?って感じはする。

司会:
そうなんですよね。私たちにとっては自然に話しかけているつもりが、却って子供にとってはプレッシャーになったり、あるいは、子供から日本語をしゃべらないでと頼まれる、と言うようなことが起こってくる。その辺のバランスって言うかが、難しいなあと思いますね。

理恵:
難しいよねえ。

緑子:
ただ、私のある知り合いは40代半ばの今デンマーク在住のアメリカ人なんですが、お父さんは、ロシアの周辺の国だったと思うんですが、その辺の出身のお医者さん。で、お父さんが話すのは外国人としての英語。彼女にとっては、外人として英語をしゃべってるお父さんしか知らないんですって。彼女としては、父親が母国語を避けて、外国語としてしゃべる英語で育ってきたんだけど、いっつもねえ、お父さんは私と本当に接してくれてないと感じてたんですって。母国語をしゃべってくれなかったから。そのお父さんはもう亡くなってしまったけど、そこがね、今でも心に残ってるんですって。

司会:
いや〜、難しいですねえ、やっぱりそういうお話を聞くと。佐藤さんなんか、お父さんの立場として、今のようなお話どう思われますか?

佐藤:
結局、僕の場合、子供の母国語はもう完全にデンマーク語です。だから僕もデンマーク語を話さなくちゃならない。そうすると、すごい微妙なね、込み入った表現って言うのが、いくら一生懸命やったとしても、なかなか出てこない。そうすると、むこうから何か例えば悩みごとの相談でも受けた時にね、僕としては一生懸命に表現してね、一生懸命にやるんだけれど、どこまでそれが相手に伝わっているのか、というのがあってね。そういう問題って言うのが、すごくあると思いますね。

司会:
そうですね。息子さんが成長された時のお父さんとの関係において、お父さんが母国語じゃあない言葉で、接してあげなければならないというのも、難しい部分ですよね。

佐藤:
だから〜、なんていうのかな、やっぱりそれが、今の僕にとっての一番大きな問題かな。

理恵:
でも、子供の方もそういうふうに思ってるかも知れない。例えば、子供の母国語がデンマーク語で、親の母国語は日本語。で子供は一生懸命デンマーク語でコミュニケーションしても、子供の方でもしっくりいかないと思ってるかも知れない。親の問題としては、その、左藤さんのような問題があるでしょうし、子供の側にもそういう問題が起こってくるかもしれませんね。

緑子:
感情表現難しいものねえ。うちの子もそれありますよ。日本語で日常会話はできるけど、怒りとか悲しみのような、ネガティブな感情が、日本語でうわーっと出なくて、つまってた時期があるの。それを一生懸命日本語で言おうとするんだけど、単語が少ないから出ないでしょ。で、その時にやっぱり思ったのは、言葉って言うのは道具の一つでしかないから、もう英語でもデンマーク語でも、なんでもいいからまず吐き出しなさい、と。子供なんてそんな余裕ないでしょ。だからまず、その感情を出させる。そういう時、日本語は、2の次。


3か国語の環境と家庭内での会話

司会:
そうですねえ。先ほどから、緑子さんの家庭では3か国語をうまく使い分けていらっしゃる、と言うことなんですけれど、他にもデンマークにお住まいの日本人の家族の中には、3か国語の環境って方、たくさんいらっしゃると思うんですが、理恵さんのところも、ご主人がイギリス人でいらして、、、。

理恵:
そうです。で、うちは夫は、日本語が全くできないので、みんなで3か国語で自由に話すっていう環境ではないんですね。どんな感じかって言うと、子供の言葉が遅かったんで、3歳の時に、テーラベダゴーとコンサルテーションしたんだけれども、お父さんは子供にデンマーク語しゃべってください。で、私は日本語をしゃべる。英語はしばらく忘れよう、っていうことで、それで今までずっと来てるんですね。だから、父親と子供が話す時はデンマーク語、私と子供が話す時は日本語。そういうふうに今のところやっています。

緑子:
3人一緒の時は?

理恵:
3人一緒の時にはね、あ〜そうねえ。あれっ、どうやってやってるんだろう?(爆笑)
私と夫はね、英語なんですよね。だからね、3人一緒の時には混ざるわけ。私が英語しゃべっても子供わかんないからね、早口で日本語で言ったり、子供がデンマーク語で、話に割り込んできたりね、そんな感じですね。

司会:
敦子さんのところはどうですか?

敦子:
うちもそれが問題なんですね。まあ、2か国語しかないですけど。主人がデンマーク人ですから、英語は取りあえずおいとこうと、どっちにしても学校に行き始めたら、習う訳だし。それよりも日本語できて欲しいし。ただ問題なのは、日本語で全部話せる程、主人の日本語のレベルが高くないんで、夫婦でとか家族全員の時はどうしてもデンマーク語になるんですよね。もし、彼の日本語が高いレベルであれば、日本語で子供と話していても、デンマーク語で会話に入ってくることができますよね。それができないから、どうしてもデンマーク語になるっていう、そこらへんがジレンマですね。

理恵:
考えてみると、うちは3人で話すって言うことがあんまりないなあ。(爆笑)

緑子:
そういう家庭なの?

理恵:
言葉によるものなのか、そういう家庭なのかね、そのへんはほら、どっちが先か分かんないんだけど。

司会:
いや〜、おかしいなあ。

理恵:
ただもう、子供を中心に一方的に話す。それで、子供は子供でまた父親に、『お母さんこう言ったんだけど、ほんとにこういうことしていいの?』って聞くとかね。そういう形になるかな。

敦子:
でも逆に、うちは利用してるのは、私が日本語で話してて、『ちょっとお父さんに言って』って言って、それをデンマーク語で言わせて、で、うまく言えたら『すごいねえ〜、通訳までできちゃうんだあ』なんてね。でもそうするとほめられて嬉しいのね。

緑子:
そう!ほめるの大事ねえ。もうほめてほめてほめ抜くの。日本人はほめるの怖がるでしょ。のぼせあがるとか言ってね。でも、こちらの国はそうじゃあないから、こっち式にほめてあげると、伸びますよね。

司会:
そうですよねえ。あと、20年30年前にこちらに来られて、子供さんにやっぱり日本語を話せなかった、って言う方も少なくなかったと言うお話を聞いたことがあるんですね。というのは、周りの人が、日本語で話してると『何言ってんだろう?』って感じで見られると。


だから、周りの人がわかるように、あえて日本語を使わ なかったと。

理恵:
でもね、私は逆にね、デンマーク語でしゃべったら、『お母さんのデンマーク語ちょっとおかしいから、日本語でしゃべって』なんて言われるの。(一同爆笑)

敦子:
うちは今のところ、例えば近所の子と遊んでて、友だちの前で何か日本語で言ったりするでしょ。そして、友だちに『何言ってたの?』って聞かれて、それを友だちに説明するという作業を、まだネガティブにとってなくて、むしろ『私はできるのよ、他の子と違って、これがわかるの』っていうレベルなので、そこらへんは上手にやっていきたいなあ、と思ってるんですけどね。周りの大人って言うか、デンマークの学校の先生達が、それをプラスにみてくれれば、やり安いですね。

緑子:
さっき、うちの子たち同じ幼稚園に行ってたって言いましたけど、上の子は最初、違う幼稚園に行ってたんです。でもそこでね、日本語と英語はやめろって言われ たの。子供はデンマーク語全然分からない状態で入った でしょ。そこの幼稚園のペダゴークが、『私たちの仕事 が大変になるし、あなたたちはデンマークに住んでるんだから、デンマーク語しゃべりなさい』って言われたの。あー、ダメだこの幼稚園、と思って。そして、下の子が別の幼稚園に行きだし、そこは、いろんな状況の子がいて、『実は上の子の幼稚園でこんなこと言われた』って言ったらね、それはひどいってことで、『空きがあるからすぐ移動したらいいから、こっちにいらっしゃい』って言ってくれて。そういう周りの協力もすごくあったから、よかったと思いますねえ。

司会:
それで家庭では、お父さん、お母さんの言葉で、幼稚園ではデンマーク語ってことができたんですね。

理恵:
環境にもよるよね。


言葉の選択と環境

司会:
う〜〜ん、話はつきない、という感じですが、最後に、言葉って言うのは、コミュニケーションの手段、道具と言うことはもちろんなんですけれども、表現としての言葉、ってこともあると思うんですけど。自分が今、思っていることを一番うまく表現できるのは、いったいどの言葉なのか、そのあたりで、それを親が選択するんじゃなくて、子供が選択する、と言うことが大事なことだと思うんですが、そのあたりはどうですか?

理恵:
言葉の選択ね、やっぱり親がイモーショナルに、考えがちですよね。でも、それはやっぱり避けなくちゃいけないんじゃないかな、と思うの。それに、デンマークに来て思うんだけど、日本語しゃべれたからって言って、家族とのコミュニケーション、ってことに関しては、もちろんできるにこしたことはないけれど、英語さえ話せれば、またデンマーク語さえしっかり話せれば、また大人になってからでもね、左藤さんのところのようにね、勉強しようって気になってくれることもあるんだし。

司会:
そうですよね。

理恵:
だから、そんなにクリティカルに考えることはないんじゃあないかと思うの。もちろん、小さいうちから話せた方が、子供にとっては、得は得でしょうけど、、、。だから、なにがなんでも子供に日本語を教えようっていうのは、親のエゴっていうか、まあ、子供にもよるだろうし、環境にもよるだろうけどね。

緑子:
誇りとしてはどう?片親が日本語なのに、話せないっていうのはどう?そういう意味で左藤さんの上のお子さんが、日本語を学びたいと思った動機は、興味から?それとも親の事をもっと理解したいと思ったから?

佐藤:
どちらかというと、その後者の方ですね。だから、そういう意味でほんとに嬉しかったですね。それで、僕は、できる限り子供を日本語の環境を入れたいと思ってましたから、休みになると必ず日本に帰るようにしてました。そうすると、おじいちゃんおばあちゃんと、コミュニケーションとりたいでしょ。そういうこともあって、それで結局まあ、上の子はね、やり始めたんですけどね。

司会:
やっぱり、言葉のベースになるのは、環境って言いますか、文化を理解するだとか、習慣を理解するするだとか、そういうこともありますしね。そういう点では、敦子さんのところではどうですか?やはりできるだけ帰る機会を作ったりされてますか?

敦子:
そうですね、経済的には大変ですけどね、でもやっぱり帰ると違いますよね。おばあちゃんがいて、お友達もいて。やっぱり言葉の吸収ね、環境が全然違いますから。こちらでは、限度がある部分が、行けば、なにもかも全部日本語ですからね。そこらへんで、行く機会があるっていうのは、やっぱり違うなあと思いますね。

理恵:
うちの子は、幼児言葉を今しゃべってるんですけど、ここからまた一歩ね、日本語をやるとなると、進まな いといけないでしょ。それで、最初のうち、やっぱりあいうえおとか、教えようとしたの。でも、やっぱりどうしてもやりたくないみたい。最終的には私があきらめたけど。でも、その時はねえ、やっぱりショックだったの。それで、日本の親にどう思うか聞いてみたの。『日本語多少話せたとしても、読めないっていうの、どう思う?』って。私は、すごく真剣に聞いた訳、日本人としてのアイデンティティーとか、私の子供は日本人の血が流れてるんだし、とか思ってね。でも、私の親が言うには『あ〜、そんなの心配しなくていいわよ、たいしたことじゃないよ』って、そのうち習おうと思った時に習わせればいいって事でね。そこで何か、つきものが落ちたような気がしました。

司会:
そうですよねえ、ある意味でこちらがおおらかに構えるって事も必要なんですよね。

理恵:
そうおおらかにね、そういうことって大事なのよね。

司会:
先ほど理恵さんがおっしゃったように、押し付けるっていうのは、親のエゴ、ってところもあるでしょうしね。それに日本語ができてもそれが、ものすごく特別なこと、というふうにもならないかもしれませんしね。あるいは、例えば、音楽だとか芸術だとか、そういうことが表現の手段にもなり得るということも、含めて考えていくと、やっぱり、今日のみなさんのお話をうかがってますと、ひとつの言葉をきちんと話せるようにしてあげる、ということが、親の勤めなのかな、というように思いました。

理恵:
そうよね、それが大事よね。

司会:
今現在、デンマークにいらして、子育てに奮闘なさっているみなさんや、あるいはこれから、っていう方々に、今日のお話が少しでも、参考になりましたら、と思います。今日は、ほんとうにお忙しい中、ありがとうございました。