デンマークの気候は、メキシコ湾流の影響を受け、高緯度(カムチャッカ半島と同緯度)の割には穏やかと言われていますが、長い冬の寒さはかなり厳しいと言えます。
統計によれば、最も寒い月は1月で平均気温が−0.4℃、最も暖かい月は7月で16.6℃で、年間平均気温は7.9℃です。
秋から冬にかけて雨が多く、平均年間降水量は664ミリです。湿度は、年間平均82%で割合低いと言えます。
高緯度にあるため、夏至の日には日没が夜11時過ぎで、明け方3時半頃には日の出を迎える一方、冬至の日には午後3時半には日が沈み、夜が延々と18時間近くも続きます。
1995年の統計によれば、総人口は5,215,718人で、ここ10年人口の増加はほとんどありません。人口密度は121人/1km2で首都コペンハーゲンの人口は約134万人です。また、フェロー諸島には約47,000人、グリーンランドには約55,000人が居住しています。
デンマーク本土及びフェロー諸島の住民は北方ゲルマン民族です。
言語については、デンマーク本土はデンマーク語、フェロー諸島はフェロー語、グリーンランドはグリーンランド語ですが、フェロー人、グリーンランド人ともデンマーク語を解します。
「ルーテル福音派教会は、デンマークの国教会であり、国家によって保護される」と憲法にも規定されており、国民の89%が国教であるルーテル福音派に属しています。デンマークに初めてキリスト教が伝来したのは、826年です。そして、1536年にはルーテル教義が採用され、1849年の旧憲法により信教の自由が保証されました。
スカンジナビア半島からデンマークにかけて居住していた北ゲルマン人であるノルマン人が初めてバイキングとして世界史の舞台に登場するのは9世紀に入ってからです。バイキングとは、ゲルマン民族の大移動も終わり、諸国家が形成されてきた9世紀から11世紀のヨーロッパを主として貿易上の拠点を確保するため略奪行為で荒し回ったノルマン人に対する総称です。
バイキング時代には、既にデンマークを含む北欧3国に君主制が成立していましたが、グズフレズ王がデンマーク最初の国王として現王室の基礎を築き(約800年)、次のゴルム老王によりデンマーク王室の基礎ができあがったと言われています。当時のデンマークは大国で、現在のデンマーク本土のほか、ユトランド半島の付け根にあたるシェレスヴィヒ地方及びホルシュタイン地方、更にはスウェーデン南部のスコーネ地方も含み、また、クヌート大王の頃にはイギリスにも支配を及ばし、さらに、エストニア、北ドイツ沿岸も領有していました。
14世紀から16世紀にかけて、北欧3国はデンマーク王国の統治下にありました。しかし、その後、デンマークはスウェーデンとの戦いに破れて、スコーネ地方をスウェーデンに割譲し、更にナポレオン戦争ではフランス側について敗戦国となり、1814年にノルウェーをスウェーデンに割譲しました。また、ナポレオン戦争後のナショナリズム勃興期に、プロシアにシュレスヴィヒ、ホルシュタイン及びローエンボー地方を割譲して(1864年)、北欧の小国となってしまいました。(北シュレスヴィヒは、第1次世界大戦後の住民投票によりデンマークに帰属しました)。
デンマークは2度の世界大戦で中立を維持しましたが、第2次世界大戦勃発後の1940年4月ナチス・ドイツの侵攻を受けて、1945年5月までドイツ軍による占領を経験したためにその中立外交の理想は破られました。同大戦中、アイスランドは独立し、フェロー諸島はイギリス軍、グリーンランドはアメリカ軍に占領されました。
第2次大戦後の1947年に政権を獲得した社会民主党は、戦後復興にあたり、中立政策を放棄して、NATO(1949年)に加入しました。戦後一貫して政権を維持した社会民主党の下で高福祉政策が推進され、世界でも最も裕福な国のひとつとなりましたが、石油危機後の経済困難から1982年にはシュルター保守党党首を首班とする中道保守連立政権に政権の座を明け渡すことになりました。
シュルター政権は緊縮財政政策を進めるなど経済再建に努めた結果、財政赤字の削減や経常収支の改善に大きな成果をあげましたが、1993年1月、シュルター首相が難民の家族の入国問題から辞任し、ラスムセン社会民主党党首を首班とする左派中道連立政権が誕生しました。
800〜1000 ヴアイキングの活躍
826 キリスト教伝来
1167 アブサロン僧正、コペンハーゲンの基礎を築く
1397 デンマーク、ノールウエー、スウエーデン3王国カルマル連合形成
1536 新教をデンマーク国教と定める
1660 国王憲章制定(世襲専制君主制の確立)
1600〜1700 スウエーデンとの戦に連敗し、南スウエーデンを失う
1788 フレデリック6世による農奴解放
1800 デンマーク、ロシア及びプロイセンと協定して武装中立政策を確立
1801 英、コペンハーゲン沖でデンマーク艦隊に大打撃を与える
1807 英艦隊、コペンハーゲン攻撃。デンマーク、仏及び露と同盟し、スウエーデンと敵対関係に立つ
1814 義務教育開始
1848 絶対王政崩壊
1849 憲法発布、二院制議会の設置
1864 プロシアに敗戦し、シュレスヴィヒ・ホルシュタイン両州を割譲
1882 製酪協同組合の創設(農業協同組合の起こり)
1917 国民投票の結果、西インド諸島をアメリカに売却
1920 国際連盟加盟
1930 社会民主党、政権の座に就く
1933 グリーンランドのデンマーク領有確定、近代的社会保障制度の基礎固まる
1940 ドイツ軍のデンマーク侵攻
1941 対ナチ・レジスタンス運動が組織的となる
1943 全国各地で大規模な反独デモ
1945 第二次世界大戦終了によりナチス・ドイツの占領より解放される。国際連合に加盟
1949 NATO加盟
1953 憲法改正(議会一院制となる、女子に王位継承権を付与)
1960 EFTA加入
1972 国王フレデリック9世崩御によりマルグレーテ2世が女王に即位
1973 EC連盟、EFTA脱退
1979 グリーンランド自治権獲得
1985 自治領グリーンランドEC離脱
1993 EU発足
デンマークの概要は、96年発行の『デンマークに暮らす』から引用しております(1995年秋現在の情報です)。改訂版の発行に伴い、徐々にアップデートしてまいります。